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前回のコラムから、もう一歩先へ
本当の奇跡は、
一途な努力の先に現れる
なぜインテリ施術家ほどオカルトに走るのか?
1.オカルトにハマるのは「情弱な人」だけなのか?
前回のコラムでは、
「5次元宇宙の力によって、
人間の細胞を入れ替える」
という、にわかには信じがたい治療法について取り上げました。
コラムを読んだ方からは、「そんな怪しい話に、本当に引っかかる人がいるのですか?」「普通に考えれば、おかしいと分かるのでは?」というご意見もいただきました。
確かに、そう思うのも無理はありません。
ところが現実には、このような治療法に傾倒するのは、決して知識や情報リテラシーのない人だけではありません。
前回ご紹介した治療法の中心人物は、東京大学を卒業し、筋膜リリースに関する書籍を出版している、業界では有名な施術家です。
私自身、その方の本を持っています。
少なくとも、その本に書かれている内容は論理的で、専門書として特別おかしなものではありません。
また、私の身近で「5次元の力」に傾倒していった後輩も、海外まで行って筋膜リリースを学んできた、知識も技術もある優秀な施術家でした。
「オカルトにハマる人は、頭が悪い」
「騙される人は、勉強が足りない」
という単純な話ではないのです。
むしろ、知識が豊富で論理的思考に自信がある人ほど、一度ある考えを信じると、その豊富な知識を使って自分の信念を巧妙に正当化できてしまうことがあります。
量子力学、脳科学、遺伝子、周波数、エネルギー。
難しい言葉を知っているからこそ、それらをつなぎ合わせ、自分の信じたい物語を強固にしてしまう。
知識があることと、自分の思考を客観視できることは、必ずしも同じではありません。
そこで必要になるのが、「メタ認知」という視点です。
2.超能力は「ある・ない」だけで考えなくてよい
メタ認知とは、自分が見ていることや考えていることを、もう一段高いところから眺めることです。
1階で起きている騒ぎを、その渦中で見るのではなく、3階のベランダから見下ろすようなものですね。
私が過去テレビで見た、物理学者の大槻義彦教授と超能力者のやり取りが、メタ認知を考えるうえで非常に分かりやすい例でした。
その超能力者は、トランプを積み上げて作ったピラミッドを、念力によって崩せると主張していました。
ピラミッドへ顔を近づけ、真っ赤な顔をして「うーん」と念を送る。しかし、毎回成功するわけではありません。何度か挑戦した末にようやくトランプが崩れると、「超能力が成功した」と説明していました。
それを見た大槻教授は、「気づかれないように息を吹きかけているだけではないか」という趣旨の指摘をしました。
そこで、超能力者とトランプの間に透明なアクリル板を置くと、トランプは倒れなくなったそうです。
ここで、「超能力は存在するのか、しないのか?」という議論だけを始めると、終わりがありません。
本人は「本当に念力を使った」と言うでしょうし、見ていた人の中にも「何か不思議な力があった」と感じる人がいるかもしれません。
そこで、一段高いところから考えてみます。
何度も唸り、数回に1回だけトランプを崩せる「超能力」
と
1秒もかからず、ほぼ確実にトランプを崩せる「吐息」
実用的な価値が高いのは、どちらでしょうか?
超能力の有無を決着させなくても、答えは出せます。
もし念力でトランプを倒せたとしても、吐息の方が速く、簡単で、再現性も高く実用的ではないでしょうか。
それなら、少なくともトランプを倒すという目的において、わざわざ超能力を使う必要はありません…吐息で十分です。
これは施術も同じです。
仮に、未知のエネルギーが存在する可能性を完全には否定できないとしても、次のような別の次元から評価できます。
- その施術は、現在分かっている方法より効果が高いのか?
- より安全なのか?
- 誰が行っても、ある程度同じ結果を再現できるのか?
- それを受けなければならない合理的な理由があるのか?
メタ的に見るとオカルトの真偽について延々と争わなくても、私たちは十分に実践的な判断ができるのです。
3.なぜ施術家は、自分の限界を感じると神仏にすがるのか?
では、専門知識を持つ施術家が、なぜ万能なエネルギーや超能力へ傾倒してしまうのでしょうか。
私の整体の師匠は、かつて次のような趣旨のことを話していました。
「施術家は、自分の技術の限界を感じたとき、神仏や超能力にすがるようになる」
施術家は、どれほど勉強しても、すべての人を改善できるわけではありません。
同じような症状に見えても、ある人には効果があり、別の人にはほとんど変化が起こらない。
これまで何人もの方に有効だった施術が、目の前の一人にはまったく通用しないこともあります。
そのたびに、
- 自分の見立てが間違っているのではないか
- 何か重大なことを見落としているのではないか
- もっと勉強すれば、この人を良くできるのではないか
と考えます。これは、真面目に臨床へ向き合っている施術家ほど感じる苦しみです。
自分の力不足を認めるのは、決して楽なことではありません。
そこで、「どんな症状にも通用する究極の方法」「解剖学や生理学を超越した力」「選ばれた人だけが使えるエネルギー」を示されたら、心が揺れることがあります。
それを信じれば、「自分の勉強が足りなかった」と考え続けなくて済むからです。「現在の医学では分からないことを、自分だけは理解している」という立場にも立てます。
これは、単にリテラシーがないから起きることではありません。
終わりのない臨床と、自分の限界に向き合い続ける苦しさから逃れるための、一種の心の防衛でもあるのだと思います。
4.身体の勉強には、ゴールとなる電信柱がない
身体に関する勉強には、終わりがありません。
皆さんは意外に思われるかも知れませんが、人間の身体や運動については未だに多くの事は「未解決」のままなんです。
また、過去に正しいと言われていた「定説」が覆る事も多いです。
私が若い頃に教わったことの中にも、現在では修正されたものが数多くあります。
例えば、膝関節の前外側にある前外側靱帯(ALL)は、関連する構造が19世紀から記載されていましたが、2013年の解剖学的研究によって独立した靱帯として詳細に報告され、世界的に注目されました。
また、咬むときに使う咬筋についても、2021年末から2022年にかけて、従来の分類とは異なる深層の一部が詳しく報告されています。
人体については、基本的な解剖学でさえ、今なお見直されることがあるのです。
腰痛に対するリハビリテーションの考え方も、単純な腹筋運動から始まり、腹腔内圧、胸腰筋膜を含む後部支持機構、Panjabiの脊柱安定化モデル、Hodgesらによる深層筋の運動制御、APA、そして現在のモーターコントロールへと発展してきました。
昨日まで正しいと思っていた説明が、新しい研究によって修正される。新しい知識を身につけたと思ったら、その先に、また分からないことが現れる。
この状態を、「とりあえず、次の電信柱まで頑張って走ろう」という感覚で乗り切ろうとすると、いずれ疲弊します。
顔を上げれば、その先にも電信柱があり、そのまた先にも延々と続いているからです…なぜか?それは人間の身体、運動自体が科学的に未知の部分が多いからです。
「この資格を取れば一人前になれる」
「この技術を習得すれば、もう困らなくなる」
「ここまで勉強すれば、すべて分かる」
そう思って走り続けると、いつまでもゴールが訪れないことに絶望してしまいます。
この感覚は有名、無名に限らず「知識に依存」する人ほど強いでしょう。
イメージ的にはファッションの本質でなく、流行だけ追い続けていると、永遠に移り変わる流行に疲弊するような感じですかね?
脳科学者でベストセラー作家の池谷裕一氏は著書の中で、
「人間の脳を全て理解するのは人間の脳には不可能だろう」
「だからと絶望するのではなく、いつまでも未知の問題を解き続ける事が出来ると楽しめないとこの仕事は続けられない」
と言う趣旨の事を言っていましたが、正にその通りでしょう。
知識をよりどころにして、知識に依存し過信する人間こそ、焦燥感が強い。
無限に続く勉強に疲れ果てたころ、そこで「すべてを一度に解決してくれる万能理論」が現れたら、そちらへ逃げたくなるのも、ある意味では理解できるのです。
5.「一生勉強する」と明らめれば、苦しくなくなる
日本を代表する理学療法士の一人であった、故・入谷誠先生の講義で伺い、今も私の記憶に残っている言葉があります。
ある受講生が、「一体、どこまで勉強すれば一人前になれるのでしょうか」という趣旨の質問をしました。
それに対して入谷先生は、次のように答えました。
「『どこまで』と考えるから苦しくなる。
どこまでも、一生勉強し続けると覚悟を決めれば、
もう苦しくない」
これは、一種の「諦め」だと思います。
ただし、一般的に使われる「どうせ無理だから、諦める」という意味ではありません。
仏教でいう「諦」には、物事を「明らかに見る」という意味があります。
身体のことは、まだ分からないことだらけである。自分が生きている間に、すべてが解明されることもない。そして施術家である限り、勉強は一生続いていく。
その事実を抵抗せず、ありのままに明らかに見る。
そうすれば、「次の資格を取れば終わる」「次の技術を学べば完成する」と、自分を追い立てる必要がなくなります。
終わらせようとするから、終わらないことが苦しくなる。最初から一生続けるものだと明らめれば、今日できる勉強を、淡々と積み重ねられるようになります。
入谷先生は、「3カ月前の自分と同じことをしていたら、進歩がないと思え」という趣旨のこともおっしゃっていました。
この言葉も、私の仕事の大切な指針になっています。
3カ月前と同じ施術を、ただ機械的に繰り返すのではない。
新しく学び、考え、試し、修正する。効果が出なければ、自分の見立てや方法を疑う。
自分自身を、常に反証可能な状態に置き続ける。
それが、安易な万能理論へ逃げず、施術家として成長し続けるために必要な姿勢なのだと思います。
私の好きな言葉に以下のようなものがあります。
「勉強とは勉め強いるもの、学問とは学びて後に問いがあるもの」
6.超能力を持てば、人は幸せになれるのか?
そもそも、超能力を手に入れることと、幸せになることには、どのような関係があるのでしょうか。
人より優れた能力を持てば、幸福になれる。大きな成功や富を得れば、悩みはなくなる。私たちは、どこかでそのように考えがちです。
しかし、能力と幸福は別のものです。
どれほど大きな力を持っていても、それを扱う知恵や心の安定がなければ、その力によって本人が苦しむことがあります。
私にマインドフルネス瞑想(ヴィパサナ)を教えて下さった高名な僧侶の「アルボムッレ・スマナサーラ長老」は著書にこう記しています。
「超能力は実際あるが、それを手に入れても幸せとは関係ない」
「むしろ超能力を手に入れると不幸になる可能性が高い」と
これは、超能力に限った話ではありません。
- お金を稼ぐ能力があっても、お金を管理する力がなければ、騙されたり、人間関係を壊したりします。
- 高い知性があっても、自分の思考を客観視できなければ、その知性を使って思い込みを正当化してしまいます。
- 優れた施術技術があっても、自分の限界を受け入れられなければ、クライアントを支配したり、万能感に陥ったりすることがあります。
力そのものが、人を幸せにしてくれるわけではありません。
大切なのは、
- その力を何のために使うのか
- 使わない方がよい場面を判断できるか
- その力に自分自身が支配されていないか
という、力を扱う側の知恵です。
仮に本当に、触れずに人の身体を変えられる能力があったとしても、その能力を持っただけで人格が完成するわけではありません。
自分を特別な存在だと思い、周囲から崇拝され、誰からも間違いを指摘されなくなれば、むしろ不幸へ向かう可能性さえあります。
「特別な力を持つこと」と「心穏やかに生きられること」は、まったく別の問題なのです。
7.本当の奇跡は、一途な努力の先に現れる
私の整体の師匠は、次のような趣旨のことを言っていました。
「本当の奇跡は、それを信じて
一途に努力した人間にしか現れない」
私たちがスポーツ選手や職人の技を見て、「まるで超能力だ」と感じることがあります。
イチロー選手や大谷翔平選手のプレーは、私たちから見れば、時に人間業とは思えません。
また熟練した職人が、機械でも簡単には捉えられないような微細な違いを、指先の感覚だけで判別することもあります。
実はそのような職人の「ミクロの凸凹」を感知する能力の仕組みは完全には科学でも解明されていません。
これこそ「超能力」と言って差し支えないと思います。
しかし、その能力は、ある日突然、宇宙人や高次元の存在から与えられたものでしょうか?違いますよね。
毎日、同じような練習を繰り返しながら、その日の身体の状態や、ほんのわずかな感覚の違いを捉え、決して「昨日とまったく同じようには」行わない。
失敗すれば修正する。うまくいっても、それを完成だと思わない。誰にも気づかれないほど小さな工夫を、何年も、何十年も積み重ねる。
その結果として、かつての自分には不可能だったことが、当たり前のようにできるようになる。
私は、そこにこそ「本当の奇跡」があると思っています。
誰かから、何の努力もなく与えられた奇跡を見て、私たちは本当に感動するでしょうか。
アスリートや職人の奇跡のような「神業」を見て私たちが心を震わせるのは、その人が何度も失敗し、悩み、工夫し、それでも諦めずに一途に続けたことを知っているからではないでしょうか。
結果だけが奇跡なのではありません。
不可能だったことを可能にするまで歩き続けた、
その過程そのものが奇跡なのです。
8.私は、少なくともそうありたい
身体のことは、まだ分からないことだらけです。
これからも、今まで正しいと思っていた知識が覆されることがあるでしょう。
どれほど勉強しても、私の力では改善できない方と出会うこともあると思います。
そのたびに、自分の限界を突きつけられるでしょう。
それでも私は、「自分だけが使える特別な力」「これさえあれば、すべて解決する万能な技術」へ逃げるのではなく、分からないことを分からないまま引き受けたいと思っています。
自分の見立てを疑い、知識を更新し、目の前のお客様の身体から学ぶ。
昨日より今日、今日より明日、ほんの少しでも良い施術とボディワークを提供できるように工夫する。
一生勉強するものだと明らめ、終わりのない道を淡々と歩き続ける。
宇宙人から奇跡を与えてもらうのではなく、自分の身体と知性を使い、一途な努力の先で、かつての自分にはできなかったことを実現する。
私たちが本当に感動する奇跡とは、きっとそういうものではないでしょうか。
私は、少なくともそうありたい。
だからこれからも、オカルトに逃げる必要がないほど、毎日の研鑽を積み重ねていきます。
その地道な積み重ねの先にこそ、お客様の身体を変え、そして自分自身をも変えていく「本当の奇跡」が現れると信じています。
院長 奥川洋二
Claes S, et al. “Anatomy of the anterolateral ligament of the knee.” Journal of Anatomy. 2013.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23906341/
Mezey SE, et al. “The human masseter muscle revisited: First description of its coronoid part.” Annals of Anatomy. 2022.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34863910/





